Monday, August 23, 2010


5年前初めてハワイにきてから、毎年渡り鳥のようにこの島にやってくる。不思議と来るたびにいつか絶対ここに移り住もうと念ずるようになった。そして、今年もまた5月半ばから8月いっぱいまでこの地で働き、この地に住む機会を得た。
なぜこんなに惹かれるのだろうかと考えてみる。常夏のお天気は言うまでもなく、まずはこの社会が私を受け入れてくれるという感覚、私を信じて住む場を提供してくれる友人、すっと私を包んでくれる仲間達、日系社会と4世5世にもなる学生達との出会い、ご近所付き合い、風に揺らぐ椰子の木風景、20分も運転すればどこにだって行けるコンパクトな土地柄、突き抜けるような青い空、いつだってそこにある海や山、数え始めるときりがないほど私はハワイが好きになっている。「念じるのよ。そのうち絶対ここに住めるから」と友人は言う。だから念じることにした。いつか渡り鳥ではなく落ちつける場となるように。

Monday, January 26, 2009

夏!


夜八時、まだ外は透き通るような青空。
また畑の野菜が豊作。耕して畝を作る。
う〜ん、ここに何を植えようかな。

Saturday, January 17, 2009

2009年

明けましておめでとうございます、と言ってもこのブログを読んでいるのは暁ちゃんぐらい。でもまあオーディアンスがいるものと想定して、今年の抱負を。

今年の言葉ナンバー1は『スローダウン』。というのも2008年は駆け回って、いつも崖っぷちにいつも立っているようだった。前半期はAUTの1年生45人を受け持ち、その傍らJETの新しい教科書作成チームに参加、ガス窯も何回か焚いた。7月、AUTを終えるや否や、ビューンとハワイに飛び、即夏期集中講習を教え、1週間の休みも早々に8月末から秋学期の3コース。毎週末送られて来るJET教科書プロジェクトの原稿と留守番兼管理人兼秘書役もつとめ、年末から1週間日本へ。はあ〜、自分で振り返ってみるだけで疲れがどっと出る。だから、今年はスローダウン!

今年の言葉ナンバー2は『ステイ』。飛び回るのも少々疲れて来た。せっかくNZにいるのにこの国をあまり見てない、発見してない、冒険してない。もっとNZを見て、知ろう。

ナンバー3『会える家族、友人には一所懸命会う』。新年早々、同級生が亡くなった。去年会ったのが最後になってしまった。今回の日本滞在は短かったこともあり、母との1週間だったけれど、友達にはとんと失礼してしまった。ちょっと連絡していれば、顔を見られたかもしれない。これまで飛び回って、駆け回ってたエネルギーを少し別の方向に使ってみようと思う。

Friday, December 26, 2008

08 Christmas


去年のクリスマスはNZでハイキング。今年は再びオアフ島。久しぶりに家族三人が揃っている。Tがいないのが寂しい。でも、3年ぶりにクリスマスディナーの準備。ハワイではクリスマス前日、クランベリーが手軽に手に入るわけではないこと発見。セーフウェイに二十四日行ったら売り切れ。スーパーを回る事三軒、やっと見つけた。何せハウスシッターなのであまり人のオーブンを使いたくなくてホールフーズのチキンで代用。とにかくクリスマスイブにクランベリーソースを作っていたら、だれかがピンポーン!ドアを開けると歌声〜。クリスマスキャロルを3曲歌ってくれた。こんな経験はアメリカに25年近く住んでいても初めてなので、えっ、どうしよう?何かあげるの?ハロウィーンじゃないよね。お金?祭りの獅子舞じゃないよね?聞いて楽しむよりどう対応するかに娘とあたふた。夫がクリスマスキャロルは何もあげないのと言ってくれたものの、ただ聞くには偲びず、頂き物のチョコレートを子供達に渡した。鼻や頭、体中にピカピカ光り物を付けてホリデー雰囲気を味わわせてくれた。

Friday, September 05, 2008

アメリカ入国の顛末

真冬のNZは雨期でもあり、うんと冷え込む。そんなNZを後にしてまたアメリカ圏内、ハワイに戻って来た。今回はハワイ大学の雇用書類もあり、すいすいとイミグレを通過できるかと思ったら、おっと待った。永住権を持っていて何でNZに住んでいるかと問いつめられた。ちょっとここで待てと脇に追いやられ、待つ事1時間あまり。全員がイミグレーションを通過し終えるまで待たされ、詰問攻め。相手のいい分はなぜ市民権を得ないのか。こちらのいい分は日本人であることは自分のアイデンティティーでもあること。夫も子供二人もアメリカ人だし23年間アメリカの為に働き、税金もおさめて来たのに。相手はだったら尚の事、市民権を取ってアメリカ国民になるべきだと。う〜ん、なぜなぜなぜ?解放してもらった頃にはだれもいない。私のスーツケースだけがぽつんと寂しそうに待っていた。外は真っ暗、しとしと雨。予約してあったタクシーも当然いない。アメリカは快くお帰りと言ってくれなかった。この何ヶ月間の間に選択を迫られる。アメリカの懐は決して広くない。

Thursday, April 24, 2008

08年小松高校同窓会誌

「まりご、何か元気の出る原稿書いてま。」英ちゃんに頼まれた。う〜ん、その時は結構へこんでて、まいってた。2006年6月、約1/4世紀住んだ米国を離れ、ニュージーランドに移住。その後、10ヶ月間にNZと日本間を三回往復、父を見送った。私達の世代がみんな遭遇している両親のライフコース最後との折り合い、新たな国でのカルチャーショック、更なる自分のアイデンティティーの模索などなど引きずってた。こんな時に元気の出る事か。ま、年内までならと受けた。それまでに立ち直れる事を祈って。

この一年間を冷静に内省してみると多くの精神的混乱、苦痛はカルチャーショックに起因していた。23年前にも経験していたにも関わらず、これまで日本に送り出す多くの学生にカルチャーショックについての意識を持つよう促していたにも関わらず、避けられることではなかった。何をどうしたらいいか、 何がその文化で通常で普通なのか、何がその文化ではふさわしくて、ふさわしくないかなどという判断の欠如からおこる精神的、肉体的な 障害が続く。怒り、イライラ、不安、孤立感覚、ステレオタイプ的な物の見方などの症状が出る。いっぱい失敗、失言をしている。私の場合は第1文化(日本)、第2文化(米国)から第3文化(NZ)に移ったことからもっと複雑だった。でも、これは夫と二人で選んだ結果に始まるプロセスの一部だった。誰のせいでもないのに「違う、すべてが違う、帰りた〜い、こんなはずじゃなかった、約束が違う〜、判断、間違ったあ!」と文句たらたら。みんなに「あんた何でNZに来たの?」「一体どこに帰るの?」と言われ返答に窮する。1年早く来ていた夫はそんな私に付き合い、冷や汗の毎日だった(と思う)。

このカルチャーショックという言葉、調べるとまだ使われ始めて50年。私達より若い言葉。人の文化間の行き来が盛んになり、人類学者が作った言葉だそうだ。しかし、カルチャーショックはマイナス面だけでなくプラス面に向うのだと再確認する。この一年、自分自身について少し学んだ。そして、NZについても。移民からなるNZ人、先住民であるマオリ人についても少しずつ分かるようになった。どちらもおとなしくて静かな人たちだ。だから、いくらこちらが新人でも向こうから近寄って来たり、色々教えてくれるということはない。でも、知り合えば、急に親しみが増して一杯話してくれる。公用語はNZ英語とマオリ語と手話。NZ英語は母音がつぶれたような発音で、単語もアメリカ英語とはかなり違う。聞いていて「わからん!」から、かわいいと思うようになった。きっと彼らにとってはアメリカ英語ってだらしなく聞こえるんだろうなと思う。 所得税は我々の場合は40%。英国風の国民健康保険、年金制度がある。でも、これは少しずつ崩れ始めている。原発なし、手つかずの自然とクリーンなNZ。でも、日本の中古車輸入ナンバーワン国で、古い車が排気ガス点検もなくばんばん走り、薪ストーブ、石炭ストーブを燃やすから、このイメージとの落差は何だろと思う。政治的にはアメリカとは手を組んでいない。アメリカのご機嫌を伺いながら動かない。アメリカを出て、改めてアメリカがいかに世界の中で特別かを再確認した。

とにかく紆余曲折を経て、仕事も趣味の陶芸も再開し、一挙に友人枠が広がった。住めば都、住んでみて初めて言葉の意味が意味を持ち始める。あふれる情報は住むまで字面の意味でしかなかった。よし、もっとNZを知らなくちゃ。「先生の生き甲斐は?」「う〜ん、チャレンジとアドベンチャーかな」とは、ある日の日本語のクラスでの会話。かっこいいこと言っちゃって。もっと実行せねば。忘れちゃいけない。それにカルチャーショックはプロセスであって結果ではないんだ。得られる結果とはもっと広い視野で物事が考えられるようになる事、自分自身をもっと知り、創造性が持てるようになる事。まだまだ学ぶ事はいっぱいある。

オークランドで二度目の夏を迎えようとしているのが現時点の私。北半球のクリスマスらしさもお正月らしさもないけど、一番先に2008年を迎え、いい季節を満喫しよう。還暦を迎えるみなさ〜ん、NZで新たなる冒険をというのはどうですか。1月、2月が最高ですよ。(2007年12月オークランドにて)

Thursday, March 27, 2008

屋根

私達が家のオーナーになって以来、家の屋根を吹替えたことがなかった。前の家は雨漏りが始まってそろそろかなという時に、その地を離れた。今回は50年もたっていたら全部吹替えた方がいいと屋根やに促され
小屋の屋根とも二つを新しくしてもらった。すべてではないと思うが、この国のビジネスは口約束半分で何の詳細も出してくれないまま工事は始まる。頼んでもそんなやり方してないんだそうだ。それで、工事
費の半分を前払い。本当に来てやってくれるのだろうかドキドキ。そしてある日突然,明日から始めますと2日半にわたってやってくれた。残り半分の請求は工事が終わった1週間後でもまだ。私達にとっては
どうせ借金になるのだから遅い方が良い。

私の大学の仕事も2月から新契約で始まっているのに、契約書も来ない給料も払われていない。去年も4月頃にまとめて遡って払われた。ちょっと信じられないペースで物事が進められ、人々はこんな状態に我慢し
ているのがこれまた信じられない。

大学内に関して言えば、授業が始まって2週間後でも受講者を募っている。日本語のクラスで最初の2週間を見逃せば、初心者ならまず追いついて来られない。それでも、次から次へと入れるから、クラス名簿が出来上がるのは三週目あたり。日本、米国から新しい文化に移った私はただただ戸惑うばかり。