「まりご、何か元気の出る原稿書いてま。」英ちゃんに頼まれた。う〜ん、その時は結構へこんでて、まいってた。2006年6月、約1/4世紀住んだ米国を離れ、ニュージーランドに移住。その後、10ヶ月間にNZと日本間を三回往復、父を見送った。私達の世代がみんな遭遇している両親のライフコース最後との折り合い、新たな国でのカルチャーショック、更なる自分のアイデンティティーの模索などなど引きずってた。こんな時に元気の出る事か。ま、年内までならと受けた。それまでに立ち直れる事を祈って。
この一年間を冷静に内省してみると多くの精神的混乱、苦痛はカルチャーショックに起因していた。23年前にも経験していたにも関わらず、これまで日本に送り出す多くの学生にカルチャーショックについての意識を持つよう促していたにも関わらず、避けられることではなかった。何をどうしたらいいか、 何がその文化で通常で普通なのか、何がその文化ではふさわしくて、ふさわしくないかなどという判断の欠如からおこる精神的、肉体的な 障害が続く。怒り、イライラ、不安、孤立感覚、ステレオタイプ的な物の見方などの症状が出る。いっぱい失敗、失言をしている。私の場合は第1文化(日本)、第2文化(米国)から第3文化(NZ)に移ったことからもっと複雑だった。でも、これは夫と二人で選んだ結果に始まるプロセスの一部だった。誰のせいでもないのに「違う、すべてが違う、帰りた〜い、こんなはずじゃなかった、約束が違う〜、判断、間違ったあ!」と文句たらたら。みんなに「あんた何でNZに来たの?」「一体どこに帰るの?」と言われ返答に窮する。1年早く来ていた夫はそんな私に付き合い、冷や汗の毎日だった(と思う)。
このカルチャーショックという言葉、調べるとまだ使われ始めて50年。私達より若い言葉。人の文化間の行き来が盛んになり、人類学者が作った言葉だそうだ。しかし、カルチャーショックはマイナス面だけでなくプラス面に向うのだと再確認する。この一年、自分自身について少し学んだ。そして、NZについても。移民からなるNZ人、先住民であるマオリ人についても少しずつ分かるようになった。どちらもおとなしくて静かな人たちだ。だから、いくらこちらが新人でも向こうから近寄って来たり、色々教えてくれるということはない。でも、知り合えば、急に親しみが増して一杯話してくれる。公用語はNZ英語とマオリ語と手話。NZ英語は母音がつぶれたような発音で、単語もアメリカ英語とはかなり違う。聞いていて「わからん!」から、かわいいと思うようになった。きっと彼らにとってはアメリカ英語ってだらしなく聞こえるんだろうなと思う。 所得税は我々の場合は40%。英国風の国民健康保険、年金制度がある。でも、これは少しずつ崩れ始めている。原発なし、手つかずの自然とクリーンなNZ。でも、日本の中古車輸入ナンバーワン国で、古い車が排気ガス点検もなくばんばん走り、薪ストーブ、石炭ストーブを燃やすから、このイメージとの落差は何だろと思う。政治的にはアメリカとは手を組んでいない。アメリカのご機嫌を伺いながら動かない。アメリカを出て、改めてアメリカがいかに世界の中で特別かを再確認した。
とにかく紆余曲折を経て、仕事も趣味の陶芸も再開し、一挙に友人枠が広がった。住めば都、住んでみて初めて言葉の意味が意味を持ち始める。あふれる情報は住むまで字面の意味でしかなかった。よし、もっとNZを知らなくちゃ。「先生の生き甲斐は?」「う〜ん、チャレンジとアドベンチャーかな」とは、ある日の日本語のクラスでの会話。かっこいいこと言っちゃって。もっと実行せねば。忘れちゃいけない。それにカルチャーショックはプロセスであって結果ではないんだ。得られる結果とはもっと広い視野で物事が考えられるようになる事、自分自身をもっと知り、創造性が持てるようになる事。まだまだ学ぶ事はいっぱいある。
オークランドで二度目の夏を迎えようとしているのが現時点の私。北半球のクリスマスらしさもお正月らしさもないけど、一番先に2008年を迎え、いい季節を満喫しよう。還暦を迎えるみなさ〜ん、NZで新たなる冒険をというのはどうですか。1月、2月が最高ですよ。(2007年12月オークランドにて)
5/28/26
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どんよりとした天気。梅雨入りはまだまだ先のようですが、湿気の多い曇り空の昨今です。
さて、今日は Anさん最後の日です。土曜日にイタリアへ帰ります。2ヶ月半京都でのお仕事お疲れさまでした。中上級クラスに参加してくれてありがとう。
*初級・中級の日本語*
私は週末、奈良博物館に行って吉野の展覧会を見...
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